日曜日に外泊することを家族ラインで伝えていると、
何時に戻る?病院にはいつ戻る?と聞いてきた。
今回外泊するのは選挙のためであまりふらふら出歩くつもりはない。
だけどさみしいのかなと思い、日曜は帰って選挙だし、火曜日病院に戻るけど
戻る時間は決めてないので、月曜日ならランチできるよ、かっぱ寿司いく?と聞いた。
家から一番近い回転ずしで、近くのかっぱ寿司は実験的な店舗でTVでもやっていたのだが、
基本、注文ありき。勝手に回っている寿司は一つもない。なので、画面注文をしないと
一つも食べられない。姉夫婦と最初に行ってから、母は怒っていた(笑)
年寄りは注文できない!と。いや、できるやろ(笑)LINEもするような人が
何を今更。だから私と行くならいけるし、すでに私とも1度いっている。
やり方を覚えたらきっと近所のおばはんを誘って得意げにいけるようになると思って
慣れるのを狙っている(笑)
しかし母からの誘いは違っていた。
「一心寺と四天王寺にいきたいです」
一心寺は父が分骨されていて、私が元気だったときは月命日に毎月二人でいっていた。
四天王寺には私が病気になったときから、私と、そしてがんになった父のお札を
毎月お願いしていたから、だと思う。
私のラインの返事は
「まだイオンを2時間歩いただけでふらふらするからそこまでいける自信はないわ
ごめんな。」
時々思うのだが、母は私が元気そうに見えるらしい(笑)
確かに見た目変わらないしね、やせこけたりもしてないからっ!でもなー
体力はないし、頭に血が足らないしで、歩くことには相当自信がない。
前に空庭温泉に行ったときに実はちょっともめて、それから私は自分の体力にも
自信がなくなり、足の悪い母を面倒みることがすでに難しくなっていることを実感した。
それでも母はそれを認めず、なぜか「気まぐれやから!」と旦那にきれていた(笑)
正直ショックだったけど、疲れて母の世話ができない自分にはもう母と遠出は難しい、
旅行もやめたほうがいいと思った。それに私の健康状態を「きまぐれ」と言い放った母に
我慢できない気持ちもあった。
母はいつでも自分が世話をされるのが当然だと思っている。もちろん私が病気でなければ
80歳の母の足の代わりや動きにくいことを考慮して一緒に遊ぶことも可能だ。
でも・・・それももうしばらくは難しい。近くで我慢してもらうしかない。
自分のことで手一杯だからだ(笑)困ったもんだ。まだアラフィフなのに。
でももう十分したんじゃないかなとも思ってる。これからは一人でこっそり
遊ぼうと思う(おい
行きたいとこはたくさんあるしー(笑)ちょっと足手まといがなくなってうれしいきもする(笑)
だってさ、私は私で制限あるけど、母は母で制限たくさんあって、二人がいけるとこって
逆に選択肢少なくなるし、がんばって探していっても、文句でることいっぱいあるし、
そのくせ、友達に愚痴ったら、周りがうらやましがったといっては、
次、どこいくの?って、あんた自分勝手すぎやしませんかっ(笑)
何回ももうしらんわっ!と実際は私も思ってたんだよ(笑)親子だもんな。
しおらしい言い方したけど、これからは別々で(笑)人生楽しもうぜっ!
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