母の日というよりも①

母の日かーとブロ友さんのブログを見ていて思った(おそ

母親は今風に言えばちょっと毒親よりなのかもしれない。

それでも私は今の母は好きだ。いや、まぁ親子なので

好きと言っても「しょーがないなー」と思いつつ(笑)

母と自分の関係を思う時、いつも「子供の性格はほぼ親の育て方次第」

という気持ちがふつふつとわく。自分で言えば、この母のもとでなければ

絶対この性格にはなってない。こんな特殊な人間になるわけがない。

もちろん母だけではない、この父とこの姉と家族でなければ

私はこういう性格には絶対なってない。


たまにはこういう自分語りもよいかなと母の日なのに

自分の育てられ方をかいてみたいと思います。

長文になる可能性もあるので、適度なところで切ります(笑)


私は末っ子ということもあり、どちらかというと甘えただったけど

男勝りの性格だったため、ガキの頃は棒を手に持って

ガキ大将みたいに振り回しながら歩く子供だったらしい(父目撃)

そのくせ4つ離れた姉が好きで、音楽や漫画は全部姉の影響で

好きなものが同世代とはあわない小学生時代だった。


姉は長女だったこともあり、蝶よ花よと育てられ、乱視というハンデもあり

猫かわいがりに両親から育てられた。

妹からみてもわがままなところはあった。

その反動か、母は小学生の私に

「お母さんは先に死んでいくんだから、自分のことは自分で決めなさい」

という現実を突きつける発言をよくしていた(笑)

いまだに母はしにゃぁしねぇし、もう私のほうがやばいわ(笑)


そして姉と私、両方が学校で成績表を持って帰る年齢になると

必ず正座して父に成績表を見せる行事が始まる。

子供心に楽しいものではない。その上、もっと楽しくなかったのは

姉はどちらかというとぼんやりしたタイプで勉強は苦手、

私は親が教育を放棄したせいで

塾や習い事に死ぬほど行かされていたため

勉強も要領よくしており成績は優秀、なのに

毎回私が怒られるという謎現象。父の言い分はこうだ。

「お姉ちゃんは勉強は苦手だけど努力してよくやっている、

けいこは俺の娘なんだからもっとできるはずだ」


このいい分、納得できます?(笑)

ねーちゃんもお前の子供だろうよ!!!(笑)

そう、決して私をほめることがなかった父とは

このあと年齢を重ねるごとにただただ険悪な雰囲気になり、

焼肉屋でチューハイをぶっかける大喧嘩に発展し(笑)

そのあと数年断絶してしまいます(笑)まぁそれはまた別の話で。


そんな小学生、中学生時代だったんだけど、

別に勉強が嫌いでなかった私は

学区では2番目に偏差値の高い高校に行くことになります。

それを母が周りの人に話してる様子を見て、

誇らしく思ってくれているんだなと最初はうれしく思ったものです。

しかし本当は勉強が得意なわけでもなく

人より先に勉強していただけの私は

同じ学力の人が集まると途端にバカになります(笑)

そうなると母ですら私を責めるようになり、母や父を恨むというより

なんだかばかばかしくなって、勉強なんてしても意味ねーなと思います。

そういうのはあきらめが早いのと、そのころやり始めたバイトで

学校以外の友達や先輩ができて、仕事をすることの楽しさを味わうようになり

クラブにも入ってない私には学校なんて

もうどうでもいいところになってしまいました。


ちなみに中学生時代、私は卓球部で

市の大会ではそこそこの成績をおさめていたし

2年から部員がほかにいなくなり(笑)仕方なく部長をしていたら

1年が大勢入ってきました。

基礎練習なんかさせたらかわいそうだと思い、

ガンガンに球をうたせていました。

自分が基礎練習、要は走り込みとか大嫌いだったからです(笑)

すると「基礎練習させてください!」という謎の熱意の後輩。

その熱意が怖くびびってもう女子とは一緒に練習しない・・・

男子か先生としか練習しないというしたっぱメンタルが発動し、

この時から人の上に立つのはあきらめました・・・

高校に入ったときも担任から中学の卓球の成績にきづかれ、

卓球部に入ることをすすめられますが、

中学ではどこかのクラブに入部するのが必須だったので、

仕方なく入ったクラブだったし、

中学の時の後輩からのだめな部長扱いに

疲れ切っていた私は当然拒否しました(笑)


話はそれましたが、高校生活がばからしくなり、

バイトにのめりこむようになった理由は他にも原因がありました。

それは姉のわがままが爆発するからです(笑)

姉は・・・そうだなぁ、学区で言うと、

まだぎりぎり馬鹿じゃない程度の高校へ進学。

偏差値は高くないけど、お行儀のよい子が集まっている印象の学校で

クラブなどに精を出している感じ。そこで姉は最初に吹奏楽部へ入部。

確か8万円もするクラリネットを買ってもらい部活を始めるのですが、

何が原因か知りませんが、1か月もしないうちに退部。

そして次は美術部へ。

当時多分10万円以上した油絵用のセットを買ってもらいます。

もちろんバイトもしないので、お金は全部親持ちです。


私は高校1年からバイトをやりだし、勉強もやる気がないので、平日の夜、

土日はほぼ1日中バイトで稼ぐ、ということになると、私服の学校だったのに

親は「自分で服を買え、小遣い?お前めっちゃ金もってんじゃん」となり

衣食住のうち、食と住は提供されるが、衣はなし。学校まではチャリだったので

交通費もなし。昼飯代もなし。姉は電車通学だったのでもちろん定期代、

弁当代、全部親持ち。これだけ差をつけられてよくぐれなかったなーと

人に言われますが、勉強をしなくなってから、家族のことなどもうどうでも

よくなっていました。母がよく私に言っていた通り、

私の人生は私が決めて生きていこう、とわが道を歩き始めたわけです。


そう、この時すでに私はもうできあがっていたのです。

結局は誰もあてにしない、自分で自分らしく生きていける方法はある。

金も自分で稼ぐ、勉強なんてできたって結局は誰もほめてくれない。

何の役にも立たない。私が好き勝手に生きるのを見て、

父は母を責める。私には直接何も言わないくせに母にこういうのでした。

「お前の育て方が悪い」


その時の私の心境は

「お前は父親じゃねーのかよ」と。

そして姉もまた私をうとましく憎らしく感じていたようです。

あとでわかるのですが、自分勝手に生き始めた妹が

憎くて仕方なかったらしいのです。


長いのでここで一旦きります(笑)

母の日というよりも②へ続きます。

興味のある方はどうぞ。


keiko_osakaの隠れ家

なんだろう・・ 使い方がわからないのに HPを作れるというので 作ってみようかと。 逆にHPという響きが すでになつかしさ満載。 隠れ家的にこっそりと いうのはどうでしょう(笑)

0コメント

  • 1000 / 1000