父の命日

世の中では海の日なんですが、私にとっては父の命日となります。

今日は3回忌なんですが、会いに行くことはできません。

心残りです。たとえ私がこの病気で命尽きるとしても、父の命日には

母と姉とそろって見送ってあげたかった。


それがかなわなかったから、というわけではないのですが、

父のことを思い出していました。今となっては笑い話ですが、

私が30代のときに大喧嘩をしました。焼肉屋で姉の家族、父と母、私と旦那が食事中に

その事件は起こりました。私が父に飲みかけのチューハイをぶっかけるという(笑)


原因は私のことではないんですよ(笑)姉が近くの診療所で働いているのですが、

契約上は昼間の勤務時間のはずなのに、夜もちょいちょい仕事を入れられて

困っているという愚痴でした。それに対して、父は、契約は契約なんだから

断ればいい!と言いだした。父は市役所勤めで普通の会社には務めたことはない。

父の言うことは正しいけれど、雇用主の言うことをむげに断れないというのも

普通の会社ではよくあることで。まぁ周りの人間はみんなそう思ってたと思う。

で、普通の会社はそういうわけにいかんしって私が言ったら

子供に意見を言われていらっとした父。そんなことない!ってぐだぐだ

言い出したので、もう腹がたって、「お父さんは普通の会社で働いたことないから

わからない」というようなことを言うと、余計にヒートアップ。

まぁ、そりゃそうだな(笑)そしたら、父が「お前はまだ経験が少ないから

世の中のことがわからん!」ときたもんで。そりゃお前だろうと私もぶちぎれて

結局飲んでいたチューハイをぶっかけた(笑)


・・・私のことじゃないのにね(笑)変だよね。そもそも私ともめてたわけでもない。

姉の愚痴だったのに。この事件があり、数年、親子は断絶(笑)

でも何がきっかけか忘れたけど、気が付いたらそのわだかまりはなくなってた。

もともと仲が良い親子じゃないから、ぎくしゃくしたままに戻った、というべきか(笑)


父の年代の人にはよくあることで、若いころは子供がいても仕事中心。

私が起きている時間に父が家にいた記憶はあんまりないなぁ。

自分がかまわないもんだから子供に何か問題が起これば、母に「お前の教育が悪い」と

責める。それがいやだった。でもあの時代はどこの家庭も同じだったろうな。

大人になればたくさんのことが理解できるようになったけど、

20歳までは理解できなかったし、父を大嫌いだった。いや、まぁ今でも

おとん、それはあかんで、ということが結構あるんだけどさ(笑)


母が入院しているときに、姉に向かって「女の子を生んだかいがない」といって、

めちゃくちゃ世話になってるくせに、傷つけたこと(笑)

なんでそんなこというかなぁってそばできいてて、そりゃひどい!と思ったわ。

父もすぐかっとして心にもないこというけど、言われたほうは一生傷つくんだからね。

年上のくせに売り言葉に買い言葉でひどいこと言うってのはほんとだめだよね。

でもそういう大人げないところがあって、家族では結構もめてました(笑)


それでも外面はよくて・・・家族以外の世話をよくやいていて、町内会の仕事をたくさん

していたり、手土産などは家にたくさん用意してて、すぐ人にものをあげようとする

お人よしな人でした。だまされて借金を負ったこともあるし(笑)

しかし自分は決して贅沢はしないし、若い頃から体型は一切変わらないものだから

物持ちも非常によくて、物を絶対すてなかった。かと思えば、母が入院中に

1階に介護ベッドを入れるとなると、いろんなものを勝手に捨てて、

戻ってきた母が大慌てだったり(笑)


自分の意思をつらぬいて、死ぬ10日前まで家で過ごし、

自分の意識があるうちに自分から入院するといい、

入院後は先生と話ができているからと、我慢できなくなったので

眠らせてほしいといい、なくなりました。


強い人だったなぁと思います。そんな父の子供だからね。

私ももうちょっとがんばるよ。今あの世にいったらまた喧嘩しかねないしね(笑)


町内会の旅行に行ったときの父だと思います。ブログでいつでも会えるよう

載せます。



keiko_osakaの隠れ家

なんだろう・・ 使い方がわからないのに HPを作れるというので 作ってみようかと。 逆にHPという響きが すでになつかしさ満載。 隠れ家的にこっそりと いうのはどうでしょう(笑)

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