母の日というよりも②

②も読んでやろうというお暇な方。

意外とここからはシリアスな展開になりますので、

お楽しみに(笑)

母の日というよりも①はこちらから


ここから私と姉は全く別の道を歩み始めます。

姉は父のごり押しで看護学校へ入学。はっきり言います

姉は看護師には絶対向いていない。


気性は優しく、小説や漫画を読むのが好きなメルヘン女です・・・

人付き合いも苦手、生死に立ち会うような

度胸はかけらもないのです。それが父のすすめには逆らえず

看護師への道を歩み始めるのです・・・そこから姉の人生はどん底でした。

多分地獄だったのではないかと思います。

親の期待に応えようとしたばかりに彼女は精神を壊してしまいます。

10年以上かけて、彼女は重度の拒食症となり、死ぬ一歩手前まで

自分を追い込んでしまいました。


そのころ私はどうしていたかというと、自分勝手に生きるとはいいながら

親のすねをかじってバカしかいない短大へいき

(すみません、短大の皆さま)

バンドを経験して、旦那と知り合い、卒業した年の6月に結婚。

就職もせず、バイト暮らしでお気楽主婦を満喫ですわ(笑)


家族からさっさと離れたいのもあり、そうしたわけですが、

結婚生活もなかなかそう甘いものでもなく。

人並みに、色々と経験はしました。

義父の死、

旦那の仕事中の転落事故(下の世話も経験(笑)

旦那の兄の結婚相手の奇行から離婚、

旦那および私、旦那の兄の勤めている会社の倒産

(次々倒産したなぁ、あのころ)など紆余曲折ありましたね。

でも姉の拒食症に比べたら。。。という感じでした。


距離的には近かったくせに

実家に寄り付かなかった私は姉がそんなやばい状態に

なっていることを最初は知りませんでした。


なぜ私は早く結婚して実家を出たかったか、

距離が近くても実家に寄り付かなかったのかは

姉の一人暮らしが原因でした。それがきっかけで余計に私は

家に帰りたくない症候群になってしまうわけです。


姉が実家からほんの近くの距離のマンションに部屋を借り、

一人暮らしをしたいと言い始めました。

私はまだ短大に通っていたので実家にいましたが、

母から

「お姉ちゃんがねぇ、あんたの顔見たくないから

一人暮らしするっていうねん」

って言われ、

よっぽど嫌われているんだなと思ったことがあります。

その時私は往復3時間もかかる短大に通っていたし、

バイトもしていたので、帰るのは深夜だし、

朝も6時には家を出ていたのに、それでも一緒に暮らしたくないくらい

私のことが嫌いなんだと。ましてそれをいちいち私に話す母にも

どんなけ私がじゃまやねんと思ったものでした(笑)


でも母から姉の様子の話を聞くたびに

「もうほんとやばいんじゃないか」と思い始め、

まだそのころ拒食症がマイナーな病気だったこともあり、

母が甘く見ていたことも知っていたので、色々本を読んで

これは素人が治せる病気じゃない、

きちんと専門の医者にかからなければ!と思い、母に話しました。


最初は半信半疑だった母ですが、病院からももう勤務は不可能と言われ

本人も本当に死ぬ直前まで追い込まれて、母親が

「入院しようか」というと素直にうなづいたそうです。


病院で最初に言われたのは衝撃の一言でした。

病院ではできる限りの治療をするが、死ぬ可能性もある、

その時はあきらめてください、どうしようもありません、

食べないのは自分の意思です、との説明。


そしてすでに脳が委縮し始めていたため、正確な判断も自分では

できなくなっているようでした。そもそも精神的には異常な状態なうえに

調子のいいときですら脳の萎縮により、

痴呆症に似た症状が出始めているわけですから

本人の意思とは関係なく死を選んでしまう可能性もある。


入院したから治る病気ではないことをこれからも私たちは

実感することになるのですが、私たちはもう見守ることしかできません。

見舞いにいっても病気のことはあまり触れず

世間話や好きな紅茶の話など。食べ物のことはこちらからは言いませんが

姉が話したいときは一緒に話しました。


姉がそうなってしまったのはもちろん親の育て方に問題がありますが、

私も姉の病状を加速させた一原因ではないかと今も思っています。

生真面目な姉は私の自由な生き方をかなり恨んでいたんだと思います。

妹が自由すぎて、自分が親の犠牲になっていると感じていたような。


しかしここから姉は人生をひっくりかえす大どんでん返しをやります。

人間ってすごいです。お見合いにも1度失敗(結婚まできまってたのに

相手がギャンブル好きとわかり父親が大反対で破談)したにも

かかわらず、またも見合いで見た目はよくないけれど

本当に心の優しい男性と結婚し、義母に泣かされながらも

男の子、3人を出産。そして今では看護師にも復職し、

一番上の長男は大学生、つづいて、高校生、中学生、

旦那は東京単身赴任(笑)でも楽しそうに生きています。


この年になり、ずいぶんと姉も図太くなり、

母にも多少の暴言を吐き(笑)

病気のことについては冷静にクールに対応してくれる姉に

私は本当に感謝しています。彼女がいなければ家族全員、

私の病気で落ち込んだりしそうなもんですが、

私に引き続き母の病気についても涼しい顔で

「この年なら難病にならんでもどうせ死ぬわ」と笑い飛ばして

母からぶちぎれられるという(笑)その話を怒りながら話す母を見て

どっちもどっちじゃと思う私。

こんな家族はやっぱりここにしかないと思います。


この家族でよかったとこの年になって思えるなんて

逆に幸せなことだなと思う。逆のパターンは結構つらいしね。


あぁ、気が付いたら自分語りじゃなくて姉語りになってたなぁ。

それくらい私は姉が自慢だし、今も昔も好きです。

でもこの気持ちは全然伝わらないんだろうなぁ・・・(笑)





keiko_osakaの隠れ家

なんだろう・・ 使い方がわからないのに HPを作れるというので 作ってみようかと。 逆にHPという響きが すでになつかしさ満載。 隠れ家的にこっそりと いうのはどうでしょう(笑)

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